新秩序への対話#1 「集い」の経験「集う」意味
ファシリテーションを科学し創造性の土壌を耕すミミクリデザインさんとの共同企画、題して『新秩序への対話』、第1回のテーマは「集い」の経験「集う」意味。この日は大学生3名を含む県内外から12名が参加し、突如として訪れたコロナ禍という変化をどのように捉え何を感じているのか、私たちにとっての「集う」意味を問いながら模索していきました。
答えはない、これがこの対話プログラムの本質ですので、ここでは皆様から出た問いを少し紹介させていただきます。
●クラスや部活のような決まったコミュニティが苦手だったので、逆にコロナ禍で自分の空間で作業できるのは心地よい。オンラインだと同調圧力的な雰囲気もない(弱い)ので、自分のペースで成果を追求できる。
●授業の終わりの廊下(で友達とたわいのない会話をする)など、余白とでも言うべき空間や時間がなくなった。
●オンラインセミナーなどに参加しやすくなった反面、気が付いたらそうしたセミナーを探したりして時間を埋めていた。そうした無意識の行動は従来と変わっていなかったことに気づいた。
●選択の自由度が上がった反面、それは予測可能なものとなり、偶然性が失われているかもしれない。
●東京にいると地方の方がオフライン(実際に相手に会うことで)で「信頼性を高めたい」と考える人が多いと感じる。
●人と人の結びつきとは「分かち合う」ことではないか。「分かち合う」とは言い換えれば「与え合う」ことかな。オンラインでは何を与えることができるのでしょうか。
●Zoomでは自分の姿が映りこむこの画面サイズの中でコミュニケーションをとる。身体的なコミュニケーションの在り方も変化するかも。
●一人で過ごすと内省する時間、豊かな時間が増えたと感じる。
●オンラインでは相手の会話に没入することができないと感じる反面、同時に自分のことも考えられる。
●病院にいる人など、物理的に移動することが困難な人でもこうしたセミナーに参加することが可能で、新たな可能性が広がる。
●このモヤモヤする時間が好き。”もや床”と名付けた(笑)思考が発酵するような豊かな時間がある。
私自身、一般の参加者同士が「問い」を投げ掛け合うだけで、こんなにも多くの気づきがあるのかと驚きました。
Zoomならではの進行メソッドも含め、この感覚、皆様にも味わっていただきたいです。